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ガヴォット第14番ロ短調第2楽章"鬱の途中"

ロ短調で語る60年史, 1954~2014

徒然草第38段

ai00142008-06-29


名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、煩ひを招く媒なり。
身の後には金をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。
愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、
金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、
玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋もれぬ名をながき世に殘さむこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、
勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、
驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから卑しき位にをり、
時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に高き官・位を望むも、次に愚かなり。
智惠と心とこそ、世に勝れたる譽も殘さまほしきを、つらつら思へば、
譽を愛するは人の聞きを喜ぶなり。譽むる人、譏る人、共に世に留まらず、
傳へ聞かん人またまた速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。
譽はまた毀の本なり。身の後の名、殘りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。
たゞし、強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の爲に言はば、智惠出でては僞あり。
才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。
いかなるをか智といふべき。可・不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、
智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か傳へむ。
これ、徳をかくし、愚を守るにあらず。もとより賢愚・得失のさかひに居らざればなり。
迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。


出世競争に腐心してたら人生つまんないよ。
金持ってたら守らないといけなくなる。ろくでもないことばっかり引き寄せる。
いくら金があっても死んだら無駄。ってか邪魔。喜ぶのはバカばっかり。
大きな車とか肥えた馬とか金の飾りとか全部無駄。持ってるやつはバカ。
全部捨てたほうがいいよ。マジで。金がほしいとか言うやつはバカなんだから。
名前を残そうってのはありだよね。でも役職が高いとか身分が高いとかは論外ね。
そんなもん運がよけりゃバカでもできるじゃん。賢いやつは出世とか興味ないんだから。
役職とか望むのもバカ。
頭、それとハート。これだよ、これ。でもよく考えたらそういうのって、結局人の評価だよね。
評価する人とかそのうち死ぬじゃん。後から聞いた人だっていずれ死ぬじゃん。
それ考えたら何か評価とかどうでもよくなるよね。死んだら何にもならんし。
というわけで評価を望むのもバカ決定。
まあ、あえて勉強しようというわからずやに言おう。知恵のついたカスがうそをつく。
才能は煩悩の始まり。言っとくけど、人から聞いたとか勉強しましたとかは知恵とは違うから。
じゃあ知恵って何かって? 知らねーよ、そんなこと^^じゃあ善が何か言ってみろっての。
悟ったやつってのは知恵もない、徳もない、功績とか名声とかなーんもなし。
こんなのが後世に残るわけないだろ。別に何かを守ってるわけでもなし。
っていうかそういう次元を超えちゃってる。そういうのがすごいってもんなんだよ。
人生迷いながら出世を望むなんてのはそういうこった。くだらねーからやめとけよ^^



ものを書く人はたいてい  出世なんてアホらしい  とか
あくせく出世して何になるのだ  とか書く人が多いけど

多くの場合 出世する必要なんかない人 だったりする


出世しようとして挫折した人 はあんまりそのことを書きたがらないし
出世街道を驀進している人は そんなことを書く余裕がない


立身出世 は 悪いこと とされるような風潮があるが
結局得をするのは出世した人である


そういうことを雲の上から批判できる人は いい身分 なんだろうな

話題の現代語訳はどこまで信用できるかわからないので
原文の意味をいろいろ調べてみた
(訳は http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure038.htm

>身の後には金をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。

徒然草に 北斗 という言葉が出てきたのはちょっと意外だった
はてなダイヤリーのキーワードだと

1.JR北海道の特急列車
2.北斗神拳

があるがどちらでもないことは明らか(ほかにタレントもいるらしい)
ただ2つとも 北斗七星 と関係があるらしく
この部分の訳は

死後に北斗七星を支えることができるほど金を貯めてみたところで、
子孫たちはそれを守らなくてはならないから煩いの元になるのだ

というような意味らしいが

えらく話のスケールが大きい。


>大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、
 心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。

鎌倉時代に自動車はないから馬車かなと思ったけど牛車らしい
金玉 は きんたま ではなくて きんぎょく と読むのだろう

大きな牛車、大きな馬、金銀の飾りなどは、本人が自慢に思おうとも、
理性の人から見ればかえって馬鹿に見えるのだ。

ということだから例の現代語訳でだいたいあってるみたいだ。