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ガヴォット第14番ロ短調第2楽章"鬱の途中"

ロ短調で語る60年史, 1954~2014

徒然草第14段

ai00142008-06-26

徒然草の第14段というのはそれほど有名ではないかもしれない。
まず吉田兼好の原文から


和歌こそ、なほをかしきものなれ。
あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、
おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、
古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。
貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、
今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。
この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難し。
源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。
新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、
まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。
されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、
後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。

要するに 

昔のものは良かったけど 今のものはダメだ 

と言っているわけで
年寄りがこういうことをいうのは古今東西同じらしい


これを今話題?のワラノート http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-1181.html 

では こう現代語訳してる





歌はいい。底辺DQNも歌にしたらかっこよく聞こえるし、
猪とかも「寝てる猪の床」とか書いたらかわいいじゃん。
最近の歌は表面はうまいこと言ってるみたいだけど、古い曲みたいな深みがないよね。
貫之が「糸によるものならなくに」とか歌ったのは古今集の中でもカス扱いだそうだけど、
それだって今のやつにはムリ。昔は歌の形とか言葉とかにも品があった。
この歌だけ叩かれてるのも正直意味がわからん。源氏物語でもこの歌はこき下ろされてるし。
新古今和歌集の「残る松さへ峰にさびしき」ってのは、ちょっとライトな感じがする。
けど衆議判ではまあまあ、家長日記でも後鳥羽上皇がいいて言ってたと書いてる。




たぶん あることに熱中していた若いころ というのは
そのことに多くの時間を使っている

音楽とかならいろんな曲を熱心に聴いていたはずである

しかし歳をとってくると他にもいろいろやることができてくるから
相対的に費やす時間も少なくなり熱意も薄れてくるのがふつうだ
そうなると ついていけない 状態になり
今の・・はダメだ などと言い始めるんじゃないかしらん


鎌倉時代も21世紀もそういうところは同じ おそらく欧米でも似たようなもんだろう